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今日、日本に復帰しました。山之口貘と高田渡と。

「時間は、父にとって、無限に自分のものだったように見える。
たった59年ぽっちの短い生涯ではあったけれど、実は、何百年、何千年、何万年という果てしない時間を、ちゃっかり私有していたのではないかと、私は密かに疑っているのである。

そうでなければ、あの悠長な仕事ぶり、ひとつのことに長いこと執着し続ける態度、などについて、いったいどんな説明がつくと言うのであろうか」 娘より

かつて、『精神の貴族』と呼ばれた山之口貘。
僕が大好きな詩人のひとり。
貘は沖縄が生んだ大詩人…なのだけど、借金に借金を重ねた大のつく貧乏人。

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東京に出てから16年、貘は畳の上で寝たことがなかった。

芝浦の土管、公園や駅のベンチ、銀座のキャバレーのボイラー室に仮住まい。そんななかでも書き綴った幾多の詩は今なお逞しく輝きを放っている。

今日5/15は沖縄が日本になった日。
復帰前にしてこの世を去った貘は今の沖縄をどう思うだろうか。

うちなー世からアメリカ世、アメリカ世からヤマトの世。時代に翻弄される沖縄の人を貘は遠く離れた東京から思い馳せ、また机に向かった。

20140515-230036.jpgそして、高田渡。これまた大好きなフォークシンガーのひとり。彼もまた貘ほどではないにせよ波乱万丈な一生を過ごした。

酒を呑み呑み、ライブじゃ歌いながら寝る始末。加川良、岡林信康と並んで日本のフォーク界を背負って立ちながら、酒と共に生き、そして、誰よりも早く亡くなってしまった。

20140515-230206.jpgなんとなく、山之口貘と高田渡は似ているなぁと思う。詩と歌、モノは違えど、とにかくそのひとつに正直に生きた。それ以外は質素で素朴に。

山之口貘の名詩『生活の柄』を高田渡が歌う。一行一行が染み入る。素敵な歌だ。今日はこれをずっと聴いている。

負けてらんないと思う。

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『生活の柄』 山之口貘

歩き疲れては、
夜空と陸との隙間にもぐり込んで寝たのである
草に埋もれて寝たのである
ところ構わず寝たのである
寝たのであるが
ねむれたのでもあったのか!
このごろはねむれない
陸を敷いてもねむれない
夜空の下ではねむれない
揺り起されてはねむれない
この生活の柄が夏向きなのか!
寝たかとおもふと冷気にからかはれて
秋は、浮浪人のままではねれむれない

甲子園、その年の監督は19歳。

日が変わってしまったけれど、5月8日は沖縄水産高校 野球部元監督の
栽 弘義さんの命日。

沖縄水産の栽監督といえば熱心な野球ファンなら覚えているだろうか…。90-91年と2年連続で沖縄水産を準優勝に導いた『名将』である。沖縄では知らない人は居ない。

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今でこそ沖縄の野球レベルは高いけれど、その礎を築いたのは他でもない栽監督だ。

栽監督は1964年、小禄高校に赴任し、高校野球の監督としてキャリアをスタート。その後、豊見城高校の監督に就任。1975年には好投手赤嶺を率いて春の選抜に出場している。その頃の沖縄は日本復帰3年目で 高校野球においても全国最下位レベル。 沖縄のチームは弱小だったから出場するだけで判官びいきの拍手を受けるような状態だった。当時無名だった豊見城だけど、初戦でその年の夏に全国制覇する習志野高校を破る快進撃を見せ、一躍全国区にーーー。

ーーーその時の野球部に亀谷という選手が居た。

彼は家庭の事情で進級出来ず年齢制限にひっかかり、試合に出場することがどうしても認められなかった。

そこで、栽監督のみせた采配が粋。

なんと、その亀谷選手を監督登録し、自らは背広を着て部長として指揮をとったのである。

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鬼監督と言われ、その指導方針は賛否両論あったけれど、この『策』については栽監督の選手に対する思いやりが伺える。結果的にベスト8で現巨人監督•原辰徳要する東海大相模に接戦で敗れるも、『19歳監督』は史上最年少監督として記録され、今なお伝説となっている。

「優勝旗を手に入れるまでは 戦後が終わらない」

そう言い続け、凄まじい執念で高校野球に向き合った栽監督。実際、沖縄県民にとって甲子園は特別だった。試合中は街から人影が消え、皆ラジオやテレビにかじりつく。

沖縄戦の焼け野原、アメリカ統治、B円、ロックンロール、ベトナム戦争、コザ暴動、基地問題、高失業率。1972年の日本復帰後も沖縄県民はアメリカと日本の狭間でがんじがらめ。そんな状況で県民の心をひとつにしたのはやっぱり甲子園だった。

1999年春選抜大会、沖縄尚学が沖縄県初の甲子園優勝し、紫紺の大旗が初めて海を渡った。

ーーー その年の選抜大会の行進曲は沖縄県出身のkiroroの「長い間」。

(長い間、待たせてごめん)

歌詞にある通り、待ちに待ったこの優勝は県民に感動と勇気を与えてくれた。

国際通りの楽しみかた。

沖縄に訪れた人なら必ず通るであろう『国際通り』。

軒を連ねるお土産品店、沖縄料理屋はどこも人、人、人。その賑わいは相変わらず。

新しいプロジェクトに向け、僕も最近この国際通りをぷらぷら歩いてます。

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今日も朝のうちに打合せを終えてから牧志公設市場でささーっと沖縄そばをたいらげ、久高民藝店へ。

ちょうど国際通りの真ん中に位置する久高民藝店は創業40年余りの老舗ショップ。
やちむん、紅型、琉球ガラスなど幅広いジャンルの品揃えが人気だ。せっかくの旅行なんだし、ホンモノの工芸品が欲しい!といったこだわりやさんには是非足を運んで頂きたい。

工房や作家の説明もしっかりしてくれるので、安心してホンモノに巡り会うことができる。沖縄以外にもアフリカやインドの民芸品も展示しているので地元のお客さんも多い。

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20140503-011932.jpg次に向かったのは、久高民藝店の向かいにある那覇市伝統工芸館。
沖縄を代表する伝統工芸品の展示、また歴史を紹介する資料館。
貴重な人間国宝の作品も常時展示されているので一見の価値あり。時間が許すならすぐ隣で開催されているワークショップに参加し、自分だけのオリジナルアイテムを作るのも楽しい。

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さてさて、いろいろ諸々やらなきゃ。

おおかた男のコは虫が好きだ。

昆虫図鑑を読んでいる。

おおかた男のコは虫が好きだ。

バッタやセミ、カブトムシにクワガタ。島の小学生は大抵昆虫採集が自由研究のネタになっていたから、家の軒先にはやっぱり虫網があった。

4月。沖縄の太陽はようやく夏らしい紫外線を帯びて、葉っぱ一枚一枚を突き刺すように降り注いでいる。

庭の花達も今がその時!とばかりに互いの花びらを自慢しあっている。
花が咲くと、今度はその甘い香りに誘われて、蜜蜂や蝶々が飛んできた。

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朝露乾く正午頃、庭はなかば有名ラーメン店のごとく蜜を求めた虫達が列をなす。

•••しばらく見ていると、虫の世界にもちゃんとルールがあることが分かった。

はじめに蜜をついばむのは大きなアオスジアゲハやリュウキュウムラサキで、その後の『おこぼれ』をモンシロチョウなど小さな蝶々がいただく…

虫の世界も縦社会があるらしい。

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のほほんとしていそうで、彼らも逞しく生きている。

なるほどまさに、気分転換には最適。

親父と散歩なんていつぶりだろうか。

ここ最近親父の日課であるウォーキングに付き合っている。

—-僕が今住んでいる繁多川という町はなかなかに雰囲気がある。

高台にあるから、年中風通しが良く涼しいし、夜は綺麗な夜景が見える。家の前の坂道は首里の石畳に続いているし、石畳に入らず、更に右に下ると風光明美な金城ダムがあって、その近くに世界遺産の識名園がある。

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散歩とは -《気晴らしや健康などのために、ぶらぶら歩くこと:国語辞典調べ》らしい。なるほどまさに、気分転換には最適。

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繁多川 – この町は古くからある町だからなのか、妙な「連帯感」を感じる。
この町にはいくつもの古い井戸がある(もっともその多くは既に使えないのだけど)。300年前、これらの井戸は生活用水を供給する重要な役割を担っていた。きっと井戸を中心として住民達の和が広がったのだろう。その名残がなんとなく今も感じられる。

親父と歩きながら、キョロキョロ町を見て回る。小さな床屋があって、弁当屋があって、土曜日しかやっていない喫茶店がある。
毎回面白い発見がある。なるほどまさに、気分転換には最適。

20140427-032125.jpg散歩から帰ってきたら、今度は親父自慢の庭について話を聞く(聞かされる)。
…これがプルメリア、あのヤコウボクは夜になると甘い香りを出す、トマトが熟れてきたな、1番上の朱いのは鳥にやられる前にもいでおけ…といった具合。

近頃、「実はまだ新しいコースがある」となぜかもったいぶる親父。

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最初は気乗りしなかった散歩だけど、、、
今ではわりと楽しみになってたりして。

津軽。

皆さん本読んでます?
雑誌じゃないですよ。本、小説の類です。

僕は本を読むのが苦手です。

たぶん人より読むのが遅いんだろうなぁ。文章が頭ん中で映像化されるよりも先に断念してしまうんです。

そんな僕でも好きな本が何冊かあって、なかでも太宰治の『津軽』は特に好きな一冊。
絵を描いてる途中で疲れちゃった時に読んだりしています。

20140419-165507.jpg人間失格や斜陽やら、どこか陰鬱な暗〜いイメージが多い太宰だけど、この津軽だけは自虐のなかに彼特有のユーモアがあって、あっけらかんとしていて、所々クスっと笑える話になっています。

『津軽』は、1944年5月から3週間にわたり、執筆依頼を受けた太宰が津軽半島を旅行したことを題材にしています。
だから、小説というより、紀行文とか日記に近いのかも…

読みながら津軽人の人情の厚さ、見栄っ張り感はなんとなく沖縄の人にも当てはまる気がします。

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※以下 『津軽』より抜粋
-蟹田病院のSさんの家にて-

【 Sさんのお家へ行つて、その津軽人の本性を暴露した熱狂的な接待振りには、同じ津軽人の私でさへ少しめんくらつた。Sさんは、お家へはひるなり、たてつづけに奥さんに用事を言ひつけるのである。

「おい、東京のお客さんを連れて来たぞ。たうとう連れて来たぞ。これが、そのれいの太宰つて人なんだ。挨拶をせんかい。早く出て来て拝んだらよからう。ついでに、酒だ。いや、酒はもう飲んぢやつたんだ。リンゴ酒を持つて来い。なんだ、一升しか無いのか。少い! もう二升買つて来い。待て。その縁側にかけてある干鱈
ひだらをむしつて、待て、それは金槌
かなづちでたたいてやはらかくしてから、むしらなくちや駄目なものなんだ。

待て、そんな手つきぢやいけない、僕がやる。干鱈をたたくには、こんな工合ひに、こんな工合ひに、あ、痛え、まあ、こんな工合ひだ。おい、醤油を持つて来い。干鱈には醤油をつけなくちや駄目だ。コツプが一つ、いや二つ足りない。早く持つて来い、待て、この茶飲茶碗でもいいか。

さあ、乾盃、乾盃。おうい、もう二升買つて来い、待て、坊やを連れて来い。小説家になれるかどうか、太宰に見てもらふんだ。どうです、この頭の形は、こんなのを、鉢がひらいてゐるといふんでせう。あなたの頭の形に似てゐると思ふんですがね。しめたものです。おい、坊やをあつちへ連れて行け。うるさくてかなはない。お客さんの前に、こんな汚い子を連れて来るなんて、失敬ぢやないか。成金趣味だぞ。早くリンゴ酒を、もう二升。お客さんが逃げてしまふぢやないか。待て、お前はここにゐてサアヴイスをしろ。さあ、みんなにお酌。リンゴ酒は隣りのをばさんに頼んで買つて来てもらへ。をばさんは、砂糖をほしがつてゐたから少しわけてやれ。待て、をばさんにやつちやいかん。東京のお客さんに、うちの砂糖全部お土産に差し上げろ。

いいか、忘れちやいけないよ。全部、差し上げろ。新聞紙で包んでそれから油紙で包んで紐でゆはへて差し上げろ。子供を泣かせちや、いかん。失敬ぢやないか。成金趣味だぞ。貴族つてのはそんなものぢやないんだ。待て。砂糖はお客さんがお帰りの時でいいんだつてば。音楽、音楽。レコードをはじめろ。シユーベルト、シヨパン、バツハ、なんでもいい。音楽を始めろ。待て。なんだ、それは、バツハか。やめろ。うるさくてかなはん。話も何も出来やしない。もつと静かなレコードを掛けろ、待て、食ふものが無くなつた。アンコーのフライを作れ。ソースがわが家の自慢と来てゐる。

果してお客さんのお気に召すかどうか、待て、アンコーのフライとそれから、卵味噌のカヤキを差し上げろ。これは津軽で無ければ食へないものだ。さうだ。卵味噌だ。卵味噌に限る。卵味噌だ。卵味噌だ。」
… 私は決して誇張法を用みて描写してゐるのではない。この疾風怒濤の如き接待は、津軽人の愛情の表現なのである。 】

…沖縄のオバーの家に行った時のカメーカメー(食べなさい食べなさい)攻撃とおんなじです^ – ^

Project ♯01

次なるプロジェクトに向けて沖縄に戻ってきました。

さて、沖縄では2月に桜が散り、3月頭にもなれば海開きです。無論、4月は既に夏日。少し日焼けしたような…20140417-172252.jpg
帰ってきて、沖縄の漆器ややちむん(陶器)工房を訪ねたりしています。
ひいき目で見ずともやはり沖縄のものづくりは素敵です。

20140417-172414.jpgこれから少しずつですが、沖縄のクリエイション、またアートを盛り上げていきたいと思います。

街を歩くとオシャレなカフェや雑貨屋が目に入ります。東京のようにモノが溢れ、飽和した感じはなく、街の雰囲気に寄り添いながら進化している気がします。

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20140417-172550.jpgとはいえ、沖縄らしさだけに執着せず、僕が東京で触れてきた素敵な仲間とのつながり、ムーブメントもこの沖縄に注入していきたいなぁ、と。

さてさて、やることが山積みです。

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The Boomというバンド。

The Boomが解散を発表してから4日が経つ。今でも、どこか信じられない。
エイプリルフールだったからか、と。

年の離れた兄姉がファンだったこともあり、小学生の頃から慣れ親しんだBoom…

中央線、気球に乗って、なし、釣りに行こう、星のラブレター、帰ろうかな、朱鷺…名曲ばかり。

20140403-195227.jpg1992年、沖縄限定で発表された『島唄』は翌年全国発売となり、爆発的な大ヒットを記録。今でこそ、誰もが知るアンセムソングとして有名なこの歌だけど、発売当初は風当たりも強かった。

ナイチャー(本土の人)が琉球音階、そして、うちなーぐち(方言)で歌うことに当初民謡協会をはじめとした地元の琉歌愛好家から批判の声。ただのモノマネだと…

そんな時、我らが喜納昌吉のおやっつぁんがVo.宮沢さんに「魂までコピーすればそれはマネじゃない。あなたの歌は沖縄の心を捉えている」と賛辞を送ったとか。おっとこまえだよ、昌吉っつぁん。

宮沢さんは沖縄の音楽を愛し、これまで自分が(沖縄戦について)無知だったことを悔いて、この曲を書いたという。

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実はこの島唄、歌中の『ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら』という下りは沖縄音階ではなく、本土と変わらない通常音階で作られている。 ー さとうきび畑で出会った2人は、その下に掘られた防空壕(ガマ)で自決をした…という意味。

沖縄戦は日本本土への米軍上陸をせき止めるための「時間稼ぎ」の戦だった。歌に登場する2人は本土の犠牲になってしまった。そのため、この一節だけは沖縄音階を使っていない。

The Boom、今一度聴いてみる。何度聴いても良い。感情をここまで震わせるバンドは多くない。

Boomを知らない人はこの「からたち野道」をぜひ聴いてもらいたい。

Boomの皆さん、素敵な曲を、想いをありがとうございました。

Keep on moving

それまで気づかなかったけど、ロフトの奥に蛍光灯の照明があって、それを照らすと案外部屋が明るくなった。

2年間、寝るだけのために借りたオンボロアパート。引っ越した日からインターホンは鳴らないし、備え付き冷蔵庫は冷えず、ただの箱になっちゃった。
結局、引っ越してから一度もコンロは使わなかったなぁ。ただ、仕事から帰って寝るだけの空間。ロフトはただの収納だったし、その奥にある照明の存在に気づいたのは部屋を出るその時。
男の一人暮らしなもんで、なーんの色気もない汚い部屋だったけど、やっぱり出る時はちょっぴり寂しい。

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憧れていた東京での生活が終わろうとしている。

さあさあ、次のステージ。

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Billy Childishという男。

2年くらい前だったかHUGEでビリー•チャイルディッシュが特集されていた。

THEE ARTIST。

芸術家であり、詩人であり、ミュージシャン。アーティストのなかのアーティスト、Billy Childish。

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彼の参加したバンドは幾つもあるけれど、そのなかのひとつ Thee Headcoatsは後にニルヴァーナ、パールジャム等のグランジ世代にも大きな影響を与えている。ミッシェルガンエレファントのメンバーも皆彼の大ファンで、バンドの頭につく『Thee』はThee Headcoatsからきてるとか。

…確かにそのサウンドはあまりにストレートなパンクロック、『唯一 – Thee』という言葉で強調したほうがすぅーとハマる。

20140325-162442.jpg50を超えてもなお、毎日絵を描き続けギターを弾きじゃくるビリー。未だ衰えを知らないそのクリエイティビティ、そしてカリスマ性。

憧れです。

今、絶賛引越し作業中なのだけど、ポロっと出てきたこの本のせいで、全く先に進まない…

絵も描かなきゃ。

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↑MAISON Birth 2014 AW Collection
©Danson

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